僕は昔、東京の名だたるすき焼き店を片っ端から食べ歩いた事があります。その時一つの真理にぶち当たりました。
それは当たり前ながら気が付かなかった、「最終調理は中居さんが行う」というこの料理の特殊性です。
そのためベテランと若い中居さんでは、仕上がりに差がでる店が多いことに気がついたのです。
しかしこの「人形町今半」は違いました。
どの中居さんがやっても最上の出来となるように、技が磨かれているのです。
それは「焼くように炊く」という技なのですね。
先日の「人形町今半」では、肩ロースとヒレ、ランプ肉をいただきました。その中で特筆すべきはヒレでしょう。
ヒレ肉は、あまりすき焼きにしません。
かつて九段坂上、靖國神社前に「大周楼」というヒレ肉専門のすき焼き屋がありましたが、今はない。
なぜヒレ肉をすき焼きにしないかというと、脂が少ないため、割下が馴染まないからなんですね。
だが今回は、ヒレ肉のすき焼きが出された。
ヒレはご覧の通り、少し厚く切られている。
それを一旦割り下でヅケにしてから、すき焼きにするのである。
溶き卵に落とされたヒレ肉は、茶色の艶を輝かせて、早く食べろと誘いかける。
たまらず口にすれば、ふわりと肉に歯が抱かれ、割り下と同化した肉の滋味が舞う。
赤身肉の凛々しさとヒレ肉の品が、甘辛い割り下に溶け、心を疼かせる。
これからすき焼きはヒレ肉だね。そう言わせる魅力があった。
さらに今半は、肉だけではなく、ザクにも手抜きがない。
極細で歯ごたえが楽しい世界一のシラタキに、グルテンの力を高めた特注の安平麩に加え、野菜類も香りが高い。
さらにはうるいやウドといった春野菜が巧みに取り入れられて、季節への感謝がある。
最後の締めは、溶き卵と残った割り下をふわりとまとめあげたものをご飯に乗せて食べる「ふわたまご飯」となる。
普段はその甘みを、山椒粉で引き締めるが、先日はフキノトウ雨を刻んだものを混ぜ込んである。
ここにもまた、季節ごとに訪れる喜びがあるのでした。